9/29(月)から始まったNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルになったのは誰?と思って調べたら、「マッサンと呼ばれた男」という本も出てて「マッサン」はニッカウヰスキーの創設者である竹鶴政孝氏のことだとのことで「竹鶴政孝氏」の歴史などをチェックしてみた。
◎NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」はニッカウヰスキーの創設者「竹鶴政孝」
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NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」も楽しみですが、実際のマッサンこと竹鶴政孝氏のリアルな歴史も知りたいですね。
あの「竹鶴ピュアモルト」の「竹鶴」はこのマッサンのモデルになってる竹鶴政孝氏の名前から来てたのですね。
今年は「マッサン」のドラマが進むにつれウイスキーブームがやって来そうです。
「リタとマッサン」という本もあって、リアルなマッサンと国際結婚したスコットランド人の妻リタの話したが書かれた本。
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NHKの連ドラの中ではリタではなく「マッサンとエリー」ですが実際はリタだったようですね。
ドラマが1日15分しかないので毎回話の先はどうなったのか?って思ってリアルな話の本をすぐに読みたくなっていまします。
マッサンこと竹鶴政孝氏の歴史をチラリと調べてみました。
竹鶴政孝氏は広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)で酒造業・製塩業を営む竹鶴敬次郎の四男五女の三男として生まれる。
大阪高等工業学校(後の旧制大阪工業大学、現在の大阪大学工学部)の醸造学科に入学して学んでいたが
卒業前に大阪高工の先輩である岩井喜一郎(摂津酒造常務)を頼って当時洋酒業界では有名であった大阪市の摂津酒造 (摂津酒精醸造所) を訪ねて卒業を前にして入社した。
そこで竹鶴氏が製造した赤玉ポートワインが世間の評判となり、後に純国産のウイスキー造りを始めることを計画を始めた摂津酒造の社長の阿部喜兵衛、常務の岩井喜一郎の命を受けて、竹鶴氏は単身スコットランドで日本人として初めてウイスキー作りを学ぶこととなる。
その後1929年、鳥井信治郎に招かれ寿屋(現在のサントリー)山崎蒸溜所初代工場長として、日本初の本格スコッチ・ウイスキー製造を指揮した。
なので日本初のウイスキーを発売したのは現在のサントリーウイスキーの創業者である鳥井信治郎なのだが、
竹鶴政孝氏は自分が理想とするウイスキーを作るためにサントリーを退社し、資本を北海道の余市市でより本格的なスコッチの製造を指向して大日本果汁(現在のニッカウヰスキー)を興した。
なので竹鶴政孝氏は「日本のウイスキーの父」と呼ばれている。
余市蒸留所は1934年、宮城峡蒸留所は1969年に設立された。
北海道や東北はよりスコットランドに近い湿潤で霧が多い気候の元でウイスキー作りをおこないたかったからだそうです。
蒸留所の名前がそのまま商品名となった「余市」と宮城峡」の魅力を併せ持つ逸品が「竹鶴ピュアモルト」